現在やっている大河ドラマはべらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜で版元の蔦屋重三郎が主人公です。
江戸時代中期が舞台です。
ちなみにレンタルビデオで有名なTSUTAYAとは関連性がないようです。
そして次回の大河ドラマは豊臣兄弟で豊臣秀長が主人公です。
次の大河ドラマはまだ決まっておらず、次は戦国時代、それとも明治?
豊臣兄弟が戦国時代だから連続はないと思われる方も多いです。
では過去10回を並べてみると
べらぼう 主人公 蔦屋重三郎 江戸時代中期
光る君へ 主人公 紫式部 平安時代中期
どうする家康 主人公 徳川家康 戦国時代から江戸時代
鎌倉殿の13人 主人公 北条義時 平安時代末期から鎌倉時代
青天を衝け 主人公 渋沢栄一 江戸時代末期から昭和初期
麒麟がくる 主人公 明智光秀 戦国時代
いだてん〜東京オリムピック噺〜 主人公 金栗 四三 明治後期から昭和中期
西郷どん 主人公 西郷隆盛 江戸時代末期から明治初期
おんな城主 直虎 主人公 井伊直虎 戦国時代
真田丸 主人公 真田幸村 戦国時代から江戸時代
これをみると戦国時代が連続することも考えられますし、久々に幕末が舞台になることも考えられます。
そこで候補となる人物を挙げていきたいと思います。
立花宗茂
立花宗茂は、人気のある武将の一人です。
戦国無双シリーズにも出てきますしね。
立花宗茂(たちばな むねしげ, 1567年 – 1643年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将・大名です。
彼は「剛勇鎮西一と」とも評されるほどの勇猛さと、義を重んじる人格で知られています。
東が真田幸村なら西は立花宗茂。
年齢も一緒ですし、個人的にそう思いますね。
1567年に大友氏の重臣・高橋紹運(たかはし じょううん)の長男として誕生します。
その後、立花道雪(たちばな どうせつ)の婿養子となり、娘・誾千代(ぎんちよ)と結婚し、立花家を継承。
「立花宗茂」と名乗ります。
宗茂は大友宗麟→義統→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光に仕えました。
豊臣秀吉の九州征伐では大いに活躍して筑後柳川(現在の福岡県柳川市)13万2,000石を与えられ、大名なりました。
その後、文禄・慶長の役でも活躍して無敗の将と評価されます。
しかし、関ヶ原の戦いでは西軍についたことで所領を没収されて浪人となります。
その後、家康に実力を認められて徳川秀忠の御伽衆として陸奥棚倉(南郷)に1万石を与えられて大名として復帰。
大阪の陣では徳川方ととして参戦して功績を挙げて最終的には筑後柳川10万9,200石を与えられて自分の地に戻ってくるのです。
関ヶ原の戦いで西軍についた大名としては異例と言えるでしょう。
これは宗茂の武勇が優れていたのもありますが人格もあります。
関ヶ原敗戦後は、所領を没収されても抵抗することはせず、潔かったと言います。
また、徳川家康の家臣本多忠勝からの推挙も大きかったようです。
以上を考えると立花宗茂を大河ドラマにするのは面白いと思います。
北条氏康(北条3代)
大河ドラマで北条氏康は何度か登場していますね。
甲斐の虎武田信玄、越後の龍上杉謙信、そして相模の獅子といわれたのが北条氏康です。
3人は戦国最強の大名の一人です。
北条氏康(1515年〜1571年)は北条家当主で父は北条氏綱、祖父は北条早雲です。
北条早雲は後から付けられた名前で実際は伊勢宗瑞です。
氏康は3代当主で4代が息子の氏政、5代が氏直です。
早雲と氏綱は優秀で氏康はうつけものと言われて鉄砲の音にビビって家臣に笑われるくらいでした。
しかし、信玄、謙信、今川義元と渡り合うくらい優秀でした。
1530年の小沢原の戦いが初陣でしたが少ない兵で大勝。
その後も父の元でに足利義明・里見連合軍と戦い、敵の総大将・小弓公方の足利義明を討ち取って勝利を収めました。
軍略は祖父や父に劣らなかったでしょう。
1541年に隠居していた氏綱が死去すると正式に当主の座につきました。
その後も戦い続けて領土を拡大いきました。
中でもすごかったのが1546年の川越夜戦ですね。
1545年の第二次河東一乱では今川・武田の連合軍に敗退し、川越城まで追い詰められました。
結局は和睦したのですがこれで氏康は氏綱に及ばないと諸侯は判断したのです。
それにつけ込んだのが「関東三国同盟」(山内上杉氏+扇谷上杉氏+古河公方)であり、わずか3000の兵で籠る北条氏綱(氏康の家臣)を8万の兵で包囲します。
川越城を救援するために氏康は8000の兵で出陣しました。
そして夜襲をかけて油断している敵将は敗走しました。
これで関東の勢力図が変わりました。
また、夜襲というのは当時は珍しく、今後の戦が変わったという説があります。
氏康は武田氏や今川氏と「甲相駿三国同盟」を結び、外交面でも優れた手腕を発揮しました。しかし、今川義元が1560年に桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、三国同盟は事実上崩壊し、武田信玄との対立が深まりました。
1570年頃から病に倒れ、家督を長男・北条氏政に譲りました。そして、1571年に病死しました。氏康の死後も北条氏は関東の有力戦国大名として存続し、豊臣秀吉による小田原征伐(1590年)まで勢力を維持しました。
北条氏康は優れた戦略家であり、関東の覇者としての地位を確立しました。彼の統治によって、後北条氏は安定した政権を築きました。
彼は戦だけでなく、領国経営にも優れ、治水工事や法整備を進めたことから、領民からの支持も厚かったとされています。
しかし、北条氏康だけでなく、父も祖父も優秀だったため、北条3代という大河ドラマを待ち望んでいる方も多いですね。
楠木正成
楠木正成は鎌倉時代末期から南北朝の人物です。
この時代というのはしばらく扱ってないと思います。
足利尊氏が主人公の太平記以来です。
なので候補に挙げさせていただきました。